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技術課題の根拠及び内容が明らかにされているとし進歩性が認められた事例

技術課題の根拠及び内容が明らかにされているとして進歩性が認められた事例

東京高裁平成8年11月20日判決
       平成6年(行ケ)第33号審決取消請求事件

  特許事務所 富士山会 代表者 弁理士・行政書士 佐藤富徳

課題・技術課題・発明・目的・進歩性・新規性・審査基準・判例評論・判断
抄 録 本件は、本願発明の技術課題1) とされる「ブーミング」2) の根拠及びないようが明らかにされているものと云うべきであり、その解決手段も開示されていると認められるので進歩性が認められ審決が取り消された事例であり、判示内容に賛成する。 
  さらに、判決の実務への反映として、「技術課題」の明細書記載が進歩性判断に占める役割が重要であり、近年富に重要になってきていると考えられるので、現行の審査基準3) とも照らして望ましい実務対応について論ずることとした。

    目 次
    1.対象発明と争点
    2.事実関係
    3.判 旨
    4.研 究
    5.進歩性基準(理論づけ)について
    6.望ましい実務対応
    7.おわりに


   1.対象発明と争点

    判決の理解を深めるべく、本願発明と引用発明がどのようなものか、どこが争点になった   のか簡単に説明しておこう。
    引用例発明は、戦前の公告公報記載の古い技術4) であるが、Fletcher-Munson曲線5)に基   づいた音の増幅を与える自動ダイナミック等化回路6)である。
    これに対して、本願発明は、上記の自動ダイナミック等化回路において、200〜500Hzの
   音声域の音声信号に対して、無視し得る増加7)を与えるようにしたものに対して、引用例に   は、無視し得る増加については、記載がない点相違し、当事者間に争いがない。図1,図2か  らは引用例発明の増幅特性曲線の持ち上がりの度合いが大きいのに対して、本願発明のものは、
   持ち上がり度合いが小さいかどうかがはっきりしない。
   原告Xは、本願発明の技術的課題である「ブーミング」の根拠及び内容は本願明細書の記載  事項より明確であり、この課題解決のために無視し得る増加を与えて、ブーミングの解消がで  きるという効果を得られたと主張しているが、被告は、「ブーミング」の根拠及び内容が不明  確であり相違点の無視し得る増加の構成要素は既に引用例に開示、もしくは設計事項にすぎな
   いと主張している。

    第1の争点は、本願発明の技術的課題である「ブーミング」の根拠及び内容が、本願明細書
   に明確に記載されているか否かであり、第2の争点は、本願第1図と引用例第二図のハッチン  グ部分が無視し得る増加を与えているか否かでもある。

   2.事 実 関 係

    原告Xは、1982年6月14日にアメリカ合衆国でした特許出願に基づく優先権を主張して昭  和58年3月4日、名称を「ダイナミック等価回路」とする発明(以下「本願発明」という)  について特許出願をした(特願昭58-35728号)が、平成4年9月21日に拒絶査定を受けたの  で、平成5年1月25日、これに対する不服の審判の請求をした。
    特許庁は、同請求を平成5年審判第1561号事件として審理したうえ、平成5年9月14日、
   「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年10月27日、原告に  送達された。
    審決内容は、表1(p.854)を参照のこと。

   3.判 旨

3.1 本願発明の技術的意義について

   (1) 本願発明と引用例発明の一致点、相違点は、審決認定のとおりであり、当事者間に争   いがない。

    (2) 裁判所は、「本願明細書(甲2〜第4号証)には本願発明の目的として、「再生された  音声もしくは低周波音楽信号に好ましくないブーイングを起こさない自動音量補償を用いて」
   (甲第2号証5頁左上欄13〜15行、甲第3号証補正の内容7第3段、甲第4号証補正の内容(2)
   、改良された音量補償又は自動音量補償を提供することにある(甲第2号証5頁左上欄9〜12  行)ことが記載され、これに関し、次の記載があることが認められる。」と判示している。

    裁判所は、さらに続けて、「音声再生装置の音量(ラウドネス)制御装置は、音声レベル低  下の際に生じる低音域に対する耳の感度の低下を補償するために音量制御量を減少させる時に
低音域中音域に対して相対的に増幅するように開発された。しかしながら、低音声レベルに
おいて再生された信号の低音域を増幅しても生の状態で聴いた時に感じられる音感は保たれ  ない。何となれば、低レベルで聴いた生の音声は低音域において低下した耳の感度の影響を受け、従って中音域に比較して低音域が小さくなっているように感じられからである。斯かる理由により、今日の音声再生装置に見られる音量制御装置は、音声が低音量レベルにおいて再生された時、低音域の音声が非常に強く(ブーミング)感じられる。ハイファイ装置が、音量制御が不快になった時、音量制御を切るためのスイッチを有する所以である。毎日、人々は他の人の生の話を様々な音声レベルで聞く機会を有する。この現象は、例えば、戸外にいる話者と聴取者が様々な距離にある時に起きている。また、話者は時間によって様々な音声レベルで話すこともある。生の話の低音声レベルは低音域が小さいように聞こえるが、これは自然であると考えられる。低音声レベルにおいて音声を再生する際にこれらの低音域を本来の音声に戻す如何なる試みも人工的に感じられることが見いだされている。(甲第2号証3頁右下欄4行〜4頁左上欄10行、甲第3号証補正の内容7第1段と判示している。

    裁判所は、続けて、「録音された音楽を、生演奏される曲に対して感じられる音声レベルよ  りも低い音声レベルにおいて再生すると、人間の耳の感度が低音域に対して低下するために、  …低音域用楽器の音が再生された曲から消えてしまう。斯かる低レベルの音感効果は(音声と  違って)生演奏には見られないため、(200Hzより下の)非常に低い音域を増幅すれば、従来  の音量補償方法において得られたように声音再生を落とすことなく改善されていると認められ  る状態に低音域用楽器に対する音感を戻すことができることが見い出された。Fietcher-Munson  の均等音量曲線を用いると200〜500Hzの音域も増幅すべきであることが予測できるが、増幅す  る音域を200Hzいかに限定すると、非常に満足のいく音楽演奏が得られることが見い出されて  いる。斯かる方法を用いて、本発明は、前述の音声に関する好ましくない影響を防止している。
すなわち、本発明は音声の任意のフォルマント音域において無視できる増幅をそう入しているのである。(甲第2号証4頁右上欄11行〜左上欄12行)」と本願明細書記載事項を随分引用  している。

    (3) 裁判所は、続けて、「じょうきの記載によれば、本願明細書においては、人間の感覚に  とって日々の生活の中で生の人の声は、その音量が小さい場合には低音域が小さいほうが自然  に聴こえていることから、低音域全体を中音域に対し相対的に増幅して再生すると、音声の低
   音域レベルが非常に強く、不自然かつ人工的に聴こえる現象が生じ、これが再生された音声も  しくは低周波音楽信号に好ましくない影響を与えることが明らかにされており、この現象のことを「ブーミング」と呼んでおり、これの解消を本願発明の解決すべき技術課題としているも  のと認められる。」と判示している。
    裁判所は、「一方、別の引用例の記載によれば「ブーミング」とは室内で特定の低音域異様  にこもって耳障りになる現象を云うものと認められ、本願明細書における「ブーミング}の定  義とはやや異なる部分がないわけではないが、人が音を聴取する場合に低音域が耳障りになり、
   不自然に聴こえる現象をいう点では一致していると認められるから、本願明細書における上記
   定義をもって、不明確あるいは誤りということはできない、したがって、本願明細書において
   は、実験データこそ示されていないものの、本願発明の技術課題とされるブーミングの根拠及  び内容が明らかにされれいるというべきである。そして上記事実によれば、本願明細書には、 本願発明の目的であるブーミングの解消のためには、Fletcher-Munson曲線の考え方に基づき、
   500Hz以下の低音域全体を中音域に対し相対的に増幅した場合であっても、人の音声の分布す  る200〜500Hzの音域をできるだけ強調しないようにする、すなわち200〜500Hzの増幅特  性を平坦にすることにより、その不自然さが解消できることが開示されており、このために前  示相違点に係る構成を採用したことが認められと。」判示している、」

3.2 相違点についての判断の誤りについて

    (1) 審決が、「相違点につき、本願明細書における「ブーミング」とはどのようなものなかも明確でなく、「ブーミング」が200〜500Hzの増幅特性を平坦にするとなぜ解消されるのか、不明である。」とするが、本判決では、「前示のとおり、本願明細書には、本願発明の技術課題であるブーミングの根拠及び内容が明らかにされ、その解決手段も開示されていると認められるのであるから、審決の上記認定は誤りといわなければならない。」と明快に判示されている。

    (2) 第2の争点である構成の相違について、審決では、本願明細書の第1図と引用例の第二
   図のグラフから実測した値を基に比較して、ピーク時の増幅度に対する200Hzでの増幅度の  比について明確な差異がない(審決書6頁15〜20行)と認定するのに対して、裁判所は、「引用例の第二図は、引用例発明における各音量の低音域強調の概括的な度合いを示したものとも解され、縦軸の出力の数値が具体的に示されておらず、その本文中にもこれを示す記載がない  から、同図中のグラフの増幅の幅がどれほど正確に記入されたものかは不明であり、同図上で  実測を行ってデシベルの比を算出したとしても、その値を意味あるものとして重要視すること  は疑問である。」と判示している。さらに、裁判所は、「人の音声の音域の中で200〜500Hz   の増幅特性をできるだけ平坦にしようとするものであるから、引用例発明と対比するのは、音  量レベルの小さい時に、200〜500Hzの出力がそれ以上の人の音声音域の出力に対し、相対的  に強調されているか否かでなければならない。」と判示している。

    (3) また、引用例発明も、200〜500Hzの音声フォルマント・スペクトル成分に無視し得る  増加を与えるものでないとする根拠も明確でなく、両発明に差異がないという被告の主張に対  して、裁判所は、「本願発明が、前記のとおり、人の音声の低音域における不自然な強調を解  消するため、200〜500Hzの音域においてできるだけ増幅しないという解決手段を見出し、前  示相違点に係る「200Hzから始まる中音域周波数の音声フォルマント・スペクトル成分に無視  し得る増加を与える」構成を採用したものであるのに対し、引用例発明は、この構成を欠くも  のであるから、上記周知事項を考慮しても、限定された音域を強調しないという本願発明と引  用例発明とが、その構成の差異に基づき、作用効果において相違することは明らかである。」  として原告Xの主張を全面的に認めている。
    また、本願発明の無視し得る増加については、増幅することの認識に個人差がある以上格別技術的に意味のない限定であり、引用例発明も無視し得る増加を与えているという主張に対しては、
   「無視し得る増加は、できるだけ増幅を行わずの意味であり、本願明細書第1図(目盛りつきグラフ)から読み取るとせいぜい2〜3dBのものと認められる」と判示して、さらに、「昭和55
   年2月20日初版発行「新版聴覚と音声」(甲第9号証)、Fletcher-Munson論文(甲第2号証)
   に基づいて、引用例発明のFletcher-Munson曲線に基づく増幅では、200〜500Hzの領域で実質的に無視し得ないほどの増幅を与えているものであることが認められ、この事実と引用例発明の出願が昭和12年(1937年)であることによれば、引用例発明の技術思想は、Fletcher-Munson
   曲線の考え方に基づいて音量補償を行うことに尽き、これを修正する技術的思想はないものと認められる。」と判示して、原告の主張を全面的に認めている。

(4) 裁判所は、審決の相違点についての判断は誤りというほかはなく、審決は違法として取り消しを免れない判決している。


   4. 研 究

     本研究では、二つの争点に主眼を置いて研究することとする。

4.1 本願発明の技術的意義について

  (1) 本願発明と引用例発明の一致点、相違点については、審決認定のとおりで、裁判所においても争いがない。そして、本願発明の技術課題である「ブーミング」の根拠及び内容が引用には記載がないという点では、当事者間に争いがない。
従って、「ブーミング」の根拠及び内容が出願明細に明確に記載されていれば、本願発明の技術課題である「ブーミング」が引用例に記載がない点では、当事者間に争いがなく、本願発明の技術課題は、引用例発明の技術課題とは相違することになる。ここに、本願発明の技術課題である「ブーミング」の根拠及び内容について、最大の争点として争ったものと考えられる。

(2) 原告Xは、本願明細書には、「従って、本発明の1つの重要な目的8)は改良された音量
   補償を提供することにある。本発明の別の目的は改良された自動音量補償を提供することにある。
   本発明のさらに別の目的は、再生された音声もしくは低音曲信号に好ましくない最低音を起こさない自動音量補償を用いて前項の1つ又は2つの目的を達成することにある。」と目的について
   広い範囲から狭い範囲まで同心円的に記載していた。そして、その後、2回程補正がなされ、判決では、このうち「再生された音声もしくは低周波音楽信号に好ましくないブーミングを起こさない自動音量補償回路を用いて、改良された音量補償又は自動音量補償を提供することにある。」の部分が引用されたものである。
    なお、特許事務所の代理人(弁理士)は、一般に発明の解決すべき技術課題(単に、技術課題ともいう。)についてはなるべく広く捕え、抽象的に表現する傾向にあるようである9)。本願明細書の場合は、上記のように、広い範囲から狭い範囲まで同心円的に技術課題を捕え、それを並列的に記載しており、このことが審決取消訴訟で争って勝訴に結ぶつくポイントとなったものである。ここに記載とは、記載表現が上手であるとか、記載個所が不適切であるとかは二の次で、とにもかくにも出願明細書のどこかに記載されていることが重要なのである。

(3) 裁判所は、本が明細書に記載されている課題に関する事項の大部分を引用した後、これを要約する形で、すなわち、「低音域全体を中音域に対し増幅して再生すると、音声の低音域レベルが非常に強く、不自然かつ人工的に聴こえる現象」、これを「ブーミング」と呼んで、「ブーミング」の解消が本願発明の技術的課題であると明確に判示している。
    さらに、被告の主張する別の公開公報記載の引用による「ブーミング」の定義10)とは、やや異なる部分があるが、人が音を聴取する場合に低音域が耳障りになり、不自然に聴こえる現象をいう点では一致していると認められるから、本願明細書における定義を不明確であるということはないとして、被告の主張を斥けている。
    従って、本願発明の技術的課題とされる「ブーミング」の根拠及び内容が明らかにされているというべきであると判示し、原告Xの主張を認めている。
    そして、裁判所は、さらに「ブーミング」のかいしょうのためには、Fletcher-Munson均等音量曲線に従う増幅では小音量の音域では「ブーミング」の問題が生じるので、ぞうふく曲線のうち音声域(200〜500Hz)を無視し得る増加、すなわちできるだけ強調しないようにすれば、小声の人の声も自然に聞こえ「ブーミング」が解消できると判示している11)。

4.2 相違点についての判断の誤りについて

(1) 審決が「ブーミング」がどのようなものか、200〜500Hzの増幅特性を平坦にするとなぜ
「ブーミング」が解消するのか不明である。」とするが、裁判所は、本願発明の議寿的意義についてのところで、「本願発明の技術的課題である「ブーミング」の根拠及び内容は明らかにされており、更に解決手段も開示されている認められているのでしんけつの認定は誤りである。」としている。従って、拒絶審決は、謝った事実認定に基づく判断によるものであり、拒絶審決自体も誤っているということになるのである。
  本件のごとく、裁判では発明の構成の認定に誤りがなくても課題(効果)の認定に誤りがあれば、かかる誤った事実認定に基づいた拒絶審決自体も誤りとなる確率が非常に高くなろう。
 
  (2) 被告は、両グラフを実測して両発明の増幅の度合いを比較しているが、裁判所は、引用例の第二図は概括的な度合いを示したものかも知れず、縦軸の数値目盛りが具体的に示されていない第二図の数値には厳格な意味を持たし得ないので、それほど重要視できないと判示して被告の主張を斥けてる。
  明細書の文書に記載された数値ではなく、縦軸の数値目盛りすら具体的に示されていない第二図から読み取った数値に厳格な意味を持たせようとした被告の主張にはやや無理があるように思われる。
  また、本願発明の特徴的構成である「無視し得る増加」が引用例に実質的に開示されている
   か否かを判断をするに際して、「中音域(500Hz以上)に対する温声域(200〜500Hz)の増幅度の
   の比で両発明は対比すべきであり、ピーク値(低音域)に対する音声域(200Hz)の増幅度の比で両発明を対比すべきではない。」として、裁判所は、原告Xの主張を全面的に認めている。
    当事者間で争いのない本願発明の説明から考えて、中音域周波数に対しての無視し得る増加を対比すべきであり妥当な判示内容であろう。
    裁判所は、「「無視し得る増加」は、中音域に対して本願明細書第1図(目盛り付き)から読み取って2〜3dBのものと認められる。」12)と判示するが、目盛り付きグラフから読み取った数値はそれなりに信頼性が置け、引用例の第二図(目盛りなし)の場合とは状況を異にする。
    さらに甲第9号証、Fletcher-Munson論文(甲第12号証)のFIG.4,引用例の第二図(甲第5号証)に基づいて、引用例発明のFletcher-Munson曲線に基づく増幅では、200〜500Hzの領域で実質的に無視し得ないほどの増幅を与えていることが認められるので、本願発明には「無視し得る増加」を与えており、引用例発明ではそうではないとして明確な差異を認めたものである。

  (3) 最後に裁判所は、重ねて「本願明細書に、本願発明の技術課題である「ブーミング」の根拠及び内容が明確にされていることより、それに基づく解決手段が開示されていると認められるのであるから、上記審決の認定は誤りといわなければならない。」と判示して、原告Xの主張を全面的に認めている。
    判示内容に賛成する。

(4) 拒絶審決を取り消す旨の判決は、確定すれば、審判に差し戻され、新たな拒絶理由がなければ特許されよう。(特許法第181条第1項、第2項)
  

   5.進歩性基準(論理づけ)について

   5.1 はじめに
    本件では、実質的に課題の共通性について争ったものと考えられ、現行の審査基準の進歩性の判断基準(論理づけ)について、研究しておくことは重要と考えられる。
    論理づけは改訂された現行の審査基準に唐突に登場した言葉であるが従来からの運用と相違するものではなくまとめ直したものである。
    実質的に論理づけでもって進歩性の有無を争った改正前の判決例も多いからである。

   5.2 進歩性判断の基本手順

    公知発明をAとし、ほんはつめいをA′とし、公知発明Aの構成要件を(a+b+c)とし、本発明A′の構成要件を(a+b+c′)とすれば、公知発明Aから本発明A′への論理づけ
   は、相違点cを、相違点c′で一部置換13)することが困難か否かの判断で行う。
    通常のステップは、発明Aと本発明A′との相違点c′、共通点(a+b)を基礎として、論理づけを試みる。論理づけは、起因ないし契機づけ(動機づけ)となり得るものがあるかどうかを主要観点とし有利な効果を参酌する14).。
    主要観点である「動機づけ」15)は、課題の共通性、示唆の有無、機能・作用の共通性、関連分野か否かが審査基準に例示されているが、このうち特に争点となる場合のほとんどが「課題の
    共通性」であろう。

   5.3 課題の共通の基準

    現行の審査基準によれば、課題が共通しない場合には、「引用発明が、請求項に係る発明と共通する課題を意識したものといえない場合は、その引用発明を請求項に係る発明の構成に取り込むことが容易であったかどうかについて更に技術水準に基づく検討を要する。」としている。
    審査基準では、課題が共通せず進歩性がありとされた判決例として、「例1:本願発明と引用例記載の発明は課題を異にしており、引用例には、本願発明の課題解決に関する事項はもとより、これを示唆する事項も見い出し得ないものであるから一見両者の構成に共通しているがごとき点があったとしても、引用例記載の発明に基づいて本願発明が容易に推考できたものとは言えない(参考、平成元(行ケ)4,昭和58(行ケ)150,平成(行ケ)8)」と記載されている。
    このように課題が共通していなければ、一般には進歩性が推認されよう。但し否定される例もある16)。
    なお、有利な効果を参酌して、かかる場合に該当しないことを確認しておくことは、柔道でいう「合わせ技」と同じであり、保険をかける意味でも有効であろう。

   5.4 あとがき

    進歩性判断力向上のためには判決例を知ることが必要であろうが、判決例は、あくまでも過去のしかも一つの事例に過ぎず、他の類似の事案に、そのまま類推適用は危険であり、必ずしも杓子定規には適用でkないことに留意すべきである。ゆえに、判決例の結論にのみ余り捕らわれ過ぎるのも問題であり、判決例の結論に至る考え方自体を身につけることが肝要でろう。判決例の結論は、囲碁、将棋の定石みたいなもので、必ずしもオールマイティではなく、全く同じ事案はないのであるから、柔軟な応用力が必要であろう。新たな事案に遭遇した場合は、当事者の相手側は、どのような攻撃防御をするであろうかを熟慮し、それを上回る攻撃防御対策を考える必要があろう。判決例の知識、特許担当者の中間処理業務の経験、発明のやり方の書物、自ら発明を行った経験などから基本的な考え方を常日頃から身につけておき、これからの進歩性判断に対処すべきであろう。

   6. 望ましい実務対応

   6.1 特許法第36条第4項と特許法第29条第2項との関係
    技術課題は、従来は記載が義務づけられていた17)が、現行特許法では、自由記載となった。
   現行特許法では、必ずしも技術課題を記載しなくても拒絶されるとは限らず、この点、技術課題の記載は軽視してもよいように誤解されている向きもあるが、特許法第36条第4項では拒絶されないというだけで最終的には特許されるためには、特許法第29条第2項の実体要件(進歩性)を具備する必要がある。
    技術課題は、記載事項として義務づけられていないが、進歩性判断のためには、非常に重要であり、明細書記載事項として重要視すべきである。

   6.2 明細書の記載について

    上述したように、「技術課題」の記載は重要視すべきであると強調したが、さらにできることならば、出願前の調査によって、Fターム検索によって事前調査を行い、先行文献のうち本発明に最も近い発明を認定し、発明課題が共通するか否か、構成が相違するか否か、構成の相違に基づく効果の顕著性にも留意して、出願明細書を作成することが望ましい。
    構成の相違については、発明の盗用等のような場合を除いて、それぞれの発明者がオリジナリティをもって成した発明の構成が、全く同一であるということはほとんどあり得ないと考えてまず間違いなく、何らかの相違点はあるはずであるから、かかる相違点を間違いなく認定することが重要である。
    技術課題の記載は、進歩性判断において重要な役割をする旨述べたが、本判決においても、原告Xは、本願明細書において、前述したごとく、技術課題を広い範囲から狭い範囲まで同心円的に把握し、並列的に記載しており、このことが本裁判で争って勝訴に結び付く重大なポイントとなったことに留意すべきである。
    最大の争点となったのは「ブーミング」の根拠及び内容であるが、裁判所は、本願発明の技術的課題である「ブーミング」の根拠及び内容についての関連する事項の大部分を、本願明細書から引用して、その引用部分の基づいて、「ブーミング」の根拠及び内容が明確である旨認定している。従って、出願明細書に記載している事項は、最大の証拠資料となるということに留意すべきである。直接記載がない事項について記載があったに等しい事項であると後に主張することは、出願明細書以外の証拠方法が必要になるので、労力、手間もかかり大変であろう。このことについては、本件が十分に教訓となろう。
    発明の本質は構成であるから、それをまず認識し、その中でも特徴的構成を間違いなく把握することがまず必要である。なお、保険をかける意味では二つ以上把握することもじゅうようであろう。
    本件は、技術課題である「ブーミング」の根拠及び内容が明確であり、引用例には記載がない場合、すなわち課題が相違する場合であるが、一般には、技術課題が相違する場合は、発明の構成には何らかの相違点があるはずであるし、かかる相違点に基づく効果は、多くの場合、何らかの異質の効果があるはずである。
    すなわち、引用例に技術課題が明確に記載されていなければ、それに基づいて特徴的構成とし、
   異質の効果を主張することで、間違いなく進歩性ありとされよう。従って、技術課題の記載は、発明の本質とされる特徴的構成の記載に勝るとも劣らず重要であろう。
    ここに、望ましい明細書の記載方法をまとめると、
    @ 特徴的構成それぞれに対応する核技術課題を、広い範囲から狭い範囲までを同心円的に間違いなく把握し記載する。
    A 技術課題それぞれに対応するを特徴的構成を間違いなく把握し記載する18)。
    B 特徴的構成それぞれに対応する各効果を間違いなく把握し記載する。
     ここに、異質の効果を記載する場合には、【解決すべき技術課題】が充分に記載されていれば、【発明の効果】のところでは、例えば、「驚いたことに、各技術課題が充分に達成されると言う効果があった。」と決まり文句のごとく記載するれば足りるであろう。

   7. お わ り に
 
    進歩性判断については、実務経験豊富な読者諸氏を前には、言わずもがな釈迦に説法といった所もあり非常に書きにくかったが、淺学も省みずに蛮勇を発揮して望ましい実務対応まで書き終えて、ほっとしている。
  筆者は、進歩性判断を中心とした拒絶対応をしっかり着実に行うことができれば、実務をあれこれ経験するよりも優秀な実務者への早道であると信じている。実務対応は、囲碁、将棋と共通する点が多く、例えばプロ棋士は、いわゆるパッと見で「ここで打て(指せ)ホイ!」と瞬時に判断でき、その判断がまず間違いのない正確な着手であることに驚かされるのである。このことは、筆者も囲碁四段であるが、プロ棋士の先生と稽古碁を打ってみてつくづくと実感するところである。筆者も、進歩性判断で、プロ棋士のいわゆるパッと見の感覚を身に付けるべく少しでも非才の身に鞭打って精進を続けていきたいと念願している。
    最後に、特許事務所の方々を始め実務対応でお世話になった方々に対し、ご指導ご鞭撻により進歩性判断力向上が図られましたこと深く感謝いたします。


    注 記

   1) 審決では、本願発明の技術課題が「ブーミングの存在」、本願発明の目的が「ブーミングの解消」としているが、判決では、本願発明の技術課題ををほとんどの場合「ブーミング」の根拠及び内容といい、場合により「ブーミング」解消といっている。本願明細書全体から、実質的には本願発明の技術的課題は「ブーミングの解消」であると考えてよい。

   2)  裁判所は、「人が聴取する場合に低音域が耳障りになり不自然に聴こえる現象」であると認定しているが、原告Xの主張と被告の主張は、これとは異なることを念頭に入れて読み進めて欲しい。

   3)  特許庁編、「特許・実用新案審査基準(平成6年12月に改訂。昭和63年1月1日以降の出願に適用される。単に審査基準ともいう。)」

   4)  本件の例では、引用例が戦前の公告公報である古い技術であるが、思うに以下のような事情があったのではなかろうか。審査官は、通常通りFターム検索等の審査のための調査を行ったが容易には発見することができなかった。一方審査官は、本願は拒絶すべきであるという心証を持っていて、必死に探した結果、戦前の公告公報を探し当てたのだろう。しかし、このような公報には、旧態然の技術が極く簡単に(2〜3頁)しか記載されておらず、技術課題、構成、効果のいずれかに相違点があれば、まず進歩性がある可能性が高いと思われ、ねばり強く対応すれば、本件のように良い結果が得られよう。

    5)   Fletcher-Munson等感曲線ともいい有名である。異なった周波数の音をすべて等しい大きさに感じるには、その音の強さをどのように調整しなければならないかを示す曲線の集まり。(百科事典「S52講談社」より抜粋)

    6)  引用例には、LC並列共振回路が記載されており、引用例の第二図のA〜Eの曲線形になるよう調整することができるとしており、本願明細書には、共振回路によって分流されるタップ付ポテンショメータを含むことを特徴とする自動ダイナミック等化回路(本願の優先権主張の基礎出願では、‘an automatic dynamic equalization cir-cuit’となっている。)であり、原告Xは、裁判所で高いQ値の又は高次のフィルターを用いた回路であるから、従来技術の回路を前提とした被告の主張は、本願発明には該当しないと主張している。

    7)  本願発明の特徴的構成である「無視し得る増加」は、本願の優先権主張の基礎出願では、
     ‘said gain control for imparting negligible boost to’となっており、これを忠実に翻訳したものであるが、日本語として耳慣れない曖昧性を帯びた表現(ここでは「問題含み表現」という。)となっている。外国出願を優先権主張の基礎として日本出願をする場合、問題含み表現を出願前に関知することが重要である。そして、出願時点で問題含み表現を日本語としてぴったりした表現(判決文でも使用されている、例えば「できるだけ強調しないようにする」、「増幅特性を平坦にする」、「中音域に対して2〜3dB」等)に変更すべきであり、かつ変更した表現で発明内容が変更されていないことを外国出願人等に連絡等して確認することが、少し労力がかかるが、望ましいことではあろう。
      本件においても、‘negligible boost’の翻訳部分が引用例にも開示されているように審判官に誤解され、この翻訳部分が争いの直接的原因になったように筆者は思われて仕方ない。

8) 目的の同一とは、産業上の利用分野が同一、かつ発明が解決しようとする問題点が同一であることをいう。(S.62 新原浩朗編著「改正特許法解説」p.30.)従って、技術課題の概念のほうが、目的の概念よりも広いことになる。

    9) このようにしておけば、出願前に発明の構成が訂正されたとしても発明の解決すべき技術課題は訂正する必要がなく手間が省けることによるものと考えられるからであろう。

    10) なお、裁判所は、別の引用例により「ブーミング」の定義が、証拠からは一義的に解されるとは認められないとも判示している。

    11) 裁判では、効果については、特に争われていない。

    12) 本願明細書においても「第1図について説明する。…150Hz以上の音域において1.5dB以上の増幅を行わないようにしている。」の記載があるが、裁判所では、特に争われていないのでこれ以上は触れないことにする。

    13) なお、cがない場合(例えば、用途発明の場合)も考えられ、この場合は一部置換ではなく、付加することが困難か否かということになろう。

    14) 審査官は、「効果に弱い。」と俗にいわれている。通り、大部分の出願は、有利な効果を参酌することによって、判断可能でもあろうが、あくまでも主要観点は動機づけとなり得るものがあるかどうかである。

    15) 「動機づけ」は、4種類あり、課題の共通性、示唆の有無、機能・作用の共通性、関連分野か否かであり、それぞれ、8件、2件、1件、2件が審査基準に判決例として例示されている。
      発明の起因となるのは、まず何をさて置き、「課題」であり、技術開発者は、課題の共通した技術文献を収集して、それらを組合せて、進歩性のある発明を完成させるのが通常だからであろう。なお、「示唆の有無」についても、先行発明の構成要件に他の構成要件を付加するものは、選択発明を含めて改良発明であり、当業者が通常よく行うものだからであろう。「関連分野か否か」についても、技術開発者は、関連分野の技術文献等を収集して、転用を図ることも通常よくやられることだからであろう。「機能・作用の挙通性」についても、機能・作用の共通する構成要素を転用して改良発明とすることも、通常よく行われるからであろう。

    16) 審査基準に判決例として2件例示されている。

    17) 従来は、目的、構成、効果の記載が義務づけられていたので、目的の上位概念である技術課題も義務づけられていたことになる。

    18) 本判決においても、明確になっているように本願発明の課題が、引用例に記載していなければ課題が共通しないということであるから、引用例発明の技術課題の認定は、必ずしも必要がないというべきである。拒絶対応時のような時間が逼迫した状態では、効率的な手法となろう。さらに、本願発明が引用例に記載されていないの外、さらに示唆もされていないことの確認もすれば完璧であろう。なぜならば、示唆されていれば本願の発明課題は引用例から予測容易であるとして進歩性が否定されるおそれがあるからである。







             表1  平成5年審判第1561号の審決の概要

一致点

両者は手動で操作される可変抵抗利得制御装置と、中音域周波数におけるスペクトル成分の
大きさに対して、低音域周波数におけるスペクトル成分に与えられる低温域強調の大きさを、
中音域周波数の可聴音として再生処理されている音響信号に与えられる手動操作により制御される利得の関数として変化させる手段とを含む、自動的ダイナミック等化回路である点で一致
する。
 
相違点
  本願発明が、手動設定によって決定されて音響信号に与えられる異なる利得に対して、200
Hzから始まる中音域周波数の音声フォルトマント・スペクトル成分に無視し得る増加を与える
とともに、200Hz以下の低音域強調を前記利得の関数として顕著に変化させる手段を設け、前記音響信号の低い聴取再生音レベルにおいて、前記音響信号によって特徴づけられるとき再生
される音声の品質を低下させることなく再生された低音域スペクトル成分が聴取者に関知され
る等化回路であるのに対して、引用発明はこの点が明瞭でない点で相違している。

請求人の主張
1. この従来の音量制御装置により低音量レベルで再生された場合、低音域の音声が非常に強
く感じられるブーミングを起こし、不自然に感じられる。
2. 本願発明は該ブーミングを回避するため、音声のすべてのフォルマント音域を増幅しない
ように、200Hzから中音域にかけて増幅周波数特性を平坦にしたものである。
3. これに対して、引用例発明は、上記従来の音量制御装置であって、Fletcher-Munsou曲線に
従うと、200〜500Hzの音域も増幅すべきことになるから、引用例発明は200Hz以上の帯域
も相当増幅していると考えられる。
  従って、この点で両者は相違する。

1. 「ブーミング」の根拠及び内容が不明確であり、請求人のいうブーミングが200〜500Hzの
増幅特性を平坦にするとなぜ解消されるのか、不明である。
2. 本願発明の第1図と引用例発明の第二図について、低域のピーク時(例えば、引用例発明
の30Hz)と200Hzでの増幅度(出力レベル、dB)の比をグラフ上で実測してみると、本願発
明が1/10〜1/25であるのに対して、引用例発明のそれは1/5〜1/10である。
3. 上記の数値の差をもって、本願発明が200Hzから始まる中音域周波数の音声フォルマント
・ スペクトル成分に無視し得る増加を与えるものであって、引用例発明がそうでないとする
根拠も明確でない。両者の間に明確な差異がないとするのが妥当である。
4. なお、音響信号の低い聴取再生音レベルにおいて、再生される音声の品質を低下させることなく再生された低音域スペクトル成分が聴取者に関知されるようにすることは、音響信号の増幅装置として当然留意すべき設計事項に過ぎないから、この点にも格別の発明が存在しない。
従って、前記の点で両者が格別相違していると認めることができない。

 

 

 

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          代表者 弁理士 佐藤富徳
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